ヒロキのこと

最近では、「ぼくうみ」という映画のことは知っていても、作者の私(山下)がなぜこの映画を作ったのかを知らない方が多くなってしまいました。
それって、なんか悔しいので、ちょっと説明させて頂きます。m(__)m

ヒロキは私の長男です。重度の自閉症でした。
脚本家だった私は、ヒロキが幼稚園の時、息子のためにと障害児のための放課後の遊び場「フリースペースつくしんぼ」を立ち上げました。
放課後等デイサービス事業の制度はまだなく、障害児が通える場所などまったくない時代でした。
(よろしかったらこちらの動画もどうぞ)

2002年に小説「ぼくはうみがみたくなりました」をより刊行しました。ほとんど知られていない「自閉症」という障害のことをを多くの人に知って貰いたいという思いからでした。

その4年後、2006年の春休みのことでした。
中学を卒業した15歳の時、ヒロキは散歩中に線路に入り、電車に接触して亡くなってしまいました。
小説の映画化の企画をスタートしようと考えていた矢先のことでした。

「ヒロキのためにできる最後の仕事として、映画を作りたい」
私はブログで公言しました。
映画製作は私にとって、まさに弔い合戦のようなものでした。
ホームページを立ち上げ、製作費の寄付を呼びかけました。
今流行のクラウドファンディングのサイトなど、まだ存在していない時代でした。

寄付金額は最終的に3500万円にのぼり、当時の自主映画への寄付の記録を打ち立てました。
現在では「この世の片隅に」に抜かれてしまいましたが……。

2008年に製作を開始。
2009年夏に恵比寿の東京都写真美術館(定員200人弱)にて4週間の単館ロードショー。
1週目には閑古鳥が鳴いていましたが、クチコミで広がり、最終週には満員御礼札止めになる回も何度かありました。

その秋から自主上映活動をスタート。
全国で上映会を企画して頂き、2011年の東日本大震災の頃までは切れ目なく上映会が続きました。「全都道府県で上映会を!」の目標も達成しました。

ヒロキの事故から15年以上が経ちました。
映画の完成からも15年以上が経ちました。

15年経った今でも、上映会希望の連絡を頂けています。嬉しいです。
でもヒロキのことを知っている人が少なくなってきていて、淋しいです。
よろしかったら「おさんぽいってもいいよぉ~」も読んで頂けたら、なんて思っています。

山下 久仁明

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